完熟させないで渋抜きした柿は渋くないけど、
甘くもないんです
明治期以降、県内の富岡製糸工場へと運ぶ生糸が沼田でもたくさん生産されていた。
現在でも太い梁、柱でがっしりと組み上げられたかつての養蚕農家の建物が市内にちらほら残っているが、もちろんお蚕様を飼っているわけではない。
建物はそのまま放置されていたり、農家の倉庫として使用されていたり、ときに主人の「趣味の家」や「隠れ家」になっていたりといろいろだが、芝﨑新吉さんにとってはあんぽ柿を生産するための秘密基地だ。
「メインはぶどうの栽培だったけど、(干し)柿のほうが長く売れると思って始めた。8年くらい前に始め、失敗ばかりしていました」
芝﨑さんの秘密基地にはあんぽ柿を生産するためのさまざまな工夫が施されている。その際たるものがお手製の手動エレベーター。
皮を剥いて干したあんぽ柿をエレベーターで基地の最上部まで運び上げて、殺菌・消毒のための燻蒸をかけるのだ。
燻蒸をかける部屋はがらんとしているが、収穫以降はそこにびっしりと柿が吊るされる。70歳を越えている芝﨑さんが梯子をするすると昇り降りし、役割別に仕切った部屋と部屋の間を行き来する。狭かったり、急だったりと慣れてもそうスムーズな動きがとれないという印象もあるが、芝﨑さんは実に軽やかに動く。
自分とスタッフが機能的かつ効率的に動けるようにデザイン、設計し、自らリノベーションした基地だから当然なのかもしれないが。
養蚕をしていたときには蚕の暖をとるために炭を炊いて建物全体を温めていた。だから、あちらこちら煤けているし、焦げ臭さとともに温もりの余韻のようなものがある。たくさんのエネルギーがそこで生産されるあんぽ柿を包む。
「柿部会っていう研究会をやっていて、かつては150人くらいのメンバーがいたんだけど、今では35人ほどになった。あんぽ柿をやっているのは俺だけ。見様見真似でやっている。柿作りはおもしろいよ」
令和3年、沼田では果樹の農家、特に柿農家が遅霜で大きな被害を受けた。芝﨑さんの柿も例外ではないのだが、なぜかそういう悲壮感がない。
「ぶどうは10年かかった。柿も形になるまで10年かかった」
まるで10年の苦労や時間を楽しみ、愛おしく思っているように見受けられる。
農家としてのキャリアに裏打ちされた自信、苦労を楽しむ余裕なのか。
去年のだけどと断わって芝﨑さんが出してくれたのは、冷凍保存していたあんぽ柿。いい具合に解凍されていたので、その場でいただいた。
甘味が深くてねっとりしていて、それでいてしつこさがない。いい意味での引き算ができている味と食感だった。これは美味しい。美味しいですねと言うと、芝﨑さんは嬉しそうに笑いながら教えてくれた。
「渋抜きが大事なんだ。俺は樹上でやるんだけど。完熟しないと甘くならない。
完熟させないで渋抜きしたのは渋くないけど、甘くないんだ」
何かいろいろなことにつながる教えのように感じた。歳をとっていくことで経験や知識が増えていく。それを使い、生かしていくことで日々に役立て楽しい農業へと結びつけている。これは未来につながるメッセージだ。
そんな生産者が沼田にはいるのです。
取材/堺谷徹宏
撮影/沼田市
デザイン/中川あや
構成/山崎友香
蘭芝農園
認証品:あんぽ柿
電話番号:0278-23-9829
代表者:芝﨑 新吉