パクッとほおぼれば
たちまち幸せに。
りんご屋だからこそ、
たっぷりと紅玉りんごを
載せて焼き上げます。
オーブンペーパーに似た油を吸い取る性質のある紙に包まれ、桑原裕和さんがアップルパイを運んできてくれた。
厚みがあり、上から見ると四角い形。天面にはしっとりした紅玉りんごがたっぷりのっている。
「うちのアップルパイはワンハンドで、ポロポロこぼしながら食べてくださいとお客様には言っています」
と桑原さんが言うものだから、思い切ってひとくちかぶりついた。
案の定、サクサクのパイ生地がポロポロこぼれてお店のテーブルや床を汚してしまった。
桑原さんはにこにこ笑っている。
りんごがすこぶるジューシーでバターの濃厚な香りが口から鼻腔を通して脳を刺激する。
しっかり甘いのだけれど、甘すぎない。
さっぱりしていて食べやすいのであっという間に食べ終えてしまった。あとを引く。もっと食べたくなる。
余計な味、妙な香りがない。すっきりしている。
シナモンを使わないスペックで作っているから純粋にりんごの美味しさが前面に出てくる。
原材料を聞けば、りんご、きび糖、バター、国産小麦粉、レモン、塩、卵の7種類だけ。
マーガリンも白砂糖も使っていない。一般の人に馴染みの薄い怪しげな薬剤の類はゼロ。
自社農園で採れるりんごを本当に大事にしているスペックだ。生地も普通のお店で使う既製の冷凍パイシートを使えば製造も楽なはずなのに果実庭のキッチンではすべて手作り。
桑原さんは声高には言わないけれど、可能な限り安心感のある材料しか使っていない。
すっきりした甘味は無精製のきび糖を使っているからだろう。お客様の健康への配慮にとことんこだわる。
無闇に「安心安全」をアピールする商品が多々ある中で、桑原さんの主張は静かで好感が持てる。
聞けば聞くほどその美味しさに納得していく。
「パクっとほおばればたちまち幸せ。生地からすべて手作り。りんご屋だからこそ、たっぷりと紅玉りんごをのせて焼き上げます。幸せな空間の提供と幸せな食卓を創造します」と桑原さん。
2023年に桑原さんはこのアップルパイで沼田ブランドの認証を受けたし、お店でもそのアップルパイを目玉にしているけれど、
桑原さんはお菓子屋さんではないし、パン屋さんでもない。
れっきとしたりんご生産者だ。
20〜22歳、桑原さんはアメリカ・ワシントン州ウエナッチで農業研修を受けていた。ウエナッチは、朝、晩は冷えるものの日中は全体的に暖かく、乾燥地帯であり、豊富な河川水に恵まれていることから果樹農業が盛んに行われている地域。
主な果樹は、りんご、梨、さくらんぼ。
アメリカでは「世界のリンゴの首都」とか「フルーツ・バスケット」と呼ばれている。
そこで桑原さんはアップルパイを食べた。
そして気づいたら、故郷に帰ってきてりんごを作って売り、そのりんごでアップルパイを作って売っていた。
「人生いろいろです。りんご栽培を辞めたいと思ったことは何度もあったけど、一度手にかけたりんごの樹を放っておけなかった。りんごを30年作り続けられたことは誇りだし、今の自信につながっています。死ぬまでりんごを作り続けたい」。
要するに「りんご愛」が止まらないのだ。
アップルパイは最近になって作り始めたが、りんごジャムはもう25年も作り続けている。
「樹上完熟」を常に心がけている。
半世紀も前から直接販売を行ってきた。
ただ出荷して終わりではなくお客様の声をダイレクトに聞いてそれを栽培に生かしてきた。
「農業は楽しいということをワクワクしながら次世代に伝えるのが私の役割です。アップルパイを提供し当園やご自宅で楽しく食べていただくために作り続けていきます」。
今後は生産するりんごの品種を増やしていくという。
「今日のアップルパイのりんごは○○ですと言いたいんです。アップルパイに使うりんごの品種を限定することで、その品種の数量を確保するなど、課題がいろいろと増えてアップルパイに苦しめられることになる。それが嫌なんです」
農業を愛し、りんごを愛することでそれが高じてアップルパイという一つのゴールに達した。
でも、それは桑原さんにとって最終のゴールなのだろうか。桑原さんの溢れんばかりの農業&りんご愛はまた、次のゴールへ向けて着々と進んでいる気がしてならないのだ。
「世界一酸っぱいりんごを作りたい」と叫ぶ生産者。それで作ったアップルパイはいったいどんなだろう?夢も期待も膨らむ。
農業って楽しいと手放しに語る桑原さんの気持ちが少しだけわかった気がした。
農業&りんご愛に溢れすぎのりんご生産者。そんな生産者が沼田にはいるのです。
取材/堺谷徹宏
撮影/高津修、沼田市
デザイン/中川あや
構成/山崎友香
果実庭
https://kajitsutei.com/
認証品:アップルパイ
住所:沼田市横塚町1302-1
電話番号:0278-24-1322
代表者:桑原 裕和